現代社会で、賢くないという扱いをされると損しかない。もし「おバカタレント」として、世に出ることを画策しているなら話は別だけど。
・賢くないと周囲から思われてしまっている
という人にむけて書きました。
子供の頃と大人の頃では賢さの尺度が違う。子供の頃は、IQとか学校のテストの点数とか偏差値が高ければ、即、賢い人だった。
大人はそうではない。IQが高い大人がいても、「賢い人」として扱われるわけではない。「賢い人だ!」って思われる人が、「賢い人」になる。偏差値は正直言って、関係ない。
大人になってから見えること
子供の賢さと、大人の賢さは別
人間関係における賢さ
「賢さ」は現代を生きる上でのサバイバルナイフ。賢くて損することはない。賢くなくて得することもない。
「空が降ってきたらどうしよう?」と思い悩みすぎて、かつて自ら命を絶った中国の天才哲学者がいたらしい。賢すぎると困ることもあるっぽい、まぁレアケース。
人が結局成功するかは体力とエネルギーによる。でもそれは賢さとか知性をフルに発揮するための土台に過ぎない。
賢くなるしかない。そして今回書きたいのが、「人間関係における賢さ」。コミュニケーションをとっている中で、相手から賢い人だと思われるか否かって話。
IQが高くても、賢い人として扱ってはもらえない
勘違いしてはいけないのが、子供の頃と大人の頃では賢さの尺度が違う。子供の頃は、IQとか学校のテストの点数とか偏差値が高ければ、即、賢い人だった。
大人はそうではない。IQが高い大人がいても、「賢い人」として扱われるわけではない。「賢い人だ!」って思われる人が、「賢い人」になる。偏差値は正直言って、関係ない。
学歴よりも、賢い人だという印象の方が、大人にとっては強力。誰も教えてくれないのに、勝手にゲームのルールが変わってるあたり、世の中は厳しい。
有名大学を出ていてもちゃんとコミュニケーション取れない人と、大学にそもそも行ってないけど相談したらいつも冷静に教え諭してくれる人。
賢さバトルロイヤルで戦わせたら、きっと後者の方が立っている。
「頭のいい人が話す前に考えていること」
頭の良さは、相手が決める
「頭のいい人が話す前に考えていること」という本でも、以下のように書かれていた。(https://amzn.to/3N6K78S)
- 頭の良さは周りが決める
ノーベル賞の定義は「人類に最大の貢献をした人々に贈られる」、自分以外の誰かに以下に認められるか - 全てのアイデアは相手に伝わらないと存在しないのと同じ
- 社会的知性こそが、真の賢さであり知性
「他者の思考を読み、他者の信頼を得て、他者を動かす能力」が社会的知性 - 「この人は我々のためにちゃんと考えてくれている」と思った時に、信頼が生まれる
子供の頃の賢さは、対象物がテストであり、人ではなかった。決まったお題を、早く多く正確に解く。これが求められる。
しかし大人になると賢さは、対象物が他者になる。ここがおもろい。競技が変わってしまってる。
ふわふわしたお題を、他者に納得するように伝える。こっちが求められる。相手ありきのゲーム。
大人の賢さはテストではなく、他者に判定される
だから漢検1級にでるような漢字を使って文章を書いたり、難度の高い論文に出てくるような専門用語を使いこなせても賢いと扱われない。
相手の理解レベルに応じて、適切な語彙を選んで、伝わるように話す。これができたら賢い。
どれだけインプットをしても博学になっても、この原理原則を知っていないとムダになる。
僕は年間に100本以上映画を観るんだけど、映画好きじゃない人からしたら、そんな積み重ねは存在しないも同じ。この事実をしっかり受け入れたい。
泣けてくる。億泰が、トニオの料理を食べた時くらいに、涙が止まらない。
とこんな風にジョジョの4部読んだことのある人にしか伝わらないボケを書いている時点で、僕はまだまだ賢くなれてない。
賢くない人の特徴はコレだ!
感情のコントロールができていない
僕が社会人を続けてきた中で、賢くない人に見られた特徴を書いていきたい。正確に言えば、「周囲が賢くないとして認識している人」の特徴である。
まずは感情。感情的になる人は、総じて知性に関して疑問符がついてしまう。
めちゃくちゃ分かりやすい地雷。他は完璧でも、感情ひとつで、印象は消し飛んでしまう。
どれだけ美味しい料理を出す店で、かつ内装がオシャレでも、ゴキブリがいると印象は最悪になる。どれだけ頭から爪先まで抜かりのないファッションをしていても、鼻毛が出ていたら台無し。
感情のまま振る舞うのは、ゴキブリ級の禁忌であり、鼻毛なみのハードパンチなのである。
すぐにキレない。怒鳴らない。ここだけでも押さえる。キレるにしても、パフォーマンスとして、キレるべき。
リーダーとしてチームを叱咤激励するために、キレ芸を入れてみる。プレゼンで現状の歯痒さを訴えるために怒りを滲ませる。キレはツールとして使う。
とある研究によると、男性が怒りを行動に表すと、女性が同様にした場合と比較して、地位や能力が高いと見られるのだそう。性差別な気もするが、もうそういうもんだと思うしかない。
意図的にキレるなら、賢い。コントロールできずにキレるなら、サル。
客観的に考えれていない
客観的に物事を見れていない人は賢くない。アホっぽい印象を与える。
客観的の対義語は主観的。自分の考えでしか世の中を見れていないのはダメ。
分かりやすい例でいくと、めっちゃ忙しいアピールする奴。パフォーマンスでしているのではなく、ガチでかっこいいと思ってやってる人。
忙しいアピールして、マウントとってくる奴はアホ。変化系として忙しいアピールをして、被害者ぶる奴もアホ。
職場で一人はいる。自分はこれだけ忙しいから、あなたが配慮してください。こういうメッセージを自分よりもはるかに忙しい人に遠慮なくぶつける人。第三者視点で見ると、鼻フックしたくなるはず。
自分はどう見ているかと同じくらい、自分がどう見られているかは大事。自分のキャラを分かった上で、言動に移す。
女性に対して、「太ったよね」と言ってめちゃくちゃ嫌われる人と、なんか許されてしまう人がいる。残酷な事実だけど、何をするか・何を言うかよりも、誰が言うかが重要視されてる。
上司に報告しても、全く信じてもらえなかったのに、同じ内容を他の同僚が言ったら一発で信じる。こんな経験を際限なく潜り抜けた僕が言うんだから、ガチ中のガチ。
相手の言い分を認めない
客観性のなさとも通ずる。相手の話を聞かない、言い分を認めない。これは賢い行動とは言えない。
相手がめちゃくちゃなことを言ってても関係ない。とりあえず話を聞き、言い分を認める。このパフォーマンスが大事。
周囲から見ると、「なんてバランス感覚のある人なんだ」と思ってもらえるはず。盗人にも五分の理を認めようぜって「人を動かす」にも書いてある。
- すぐにレッテルを貼ってしまう
- 物事を決めつけて考えてしまう
- まずくなったらコミュニケーションをとるのを拒否する
ここも全部、同じ現象。アホに見えるし、人として余裕がなく見える。余裕がない人は、どうしたって賢くは見えない。
ここまでの3点をブレンドしてみる。仕事でミスをやらかす、めちゃくちゃ慌てふためき感情をむき出しにする。
「オレは悪くない、周りのサポートがなかったんだ」と、自分の視点だけの意見を言う。上司がアドバイスしようとするも、全く聞く耳を持たない。
うーん、これは立派なアホだ。数も無数ならば、毛色も雑多な俗物。ヘナヘナのうすのろ、何をやらせても中途半端な石頭どもの群れの一人。
賢い人の特徴はコレだ!
論理と感情を使い分けれる
一言でまとめると、「賢くない人の特徴を反転させよう」って感じ。
論理と感情を正しく使える人は賢い。そもそも論理的に物事を考えられる人は賢い。ここは異論はないはず。
正しくロジックに基づいて、判断する。一人で何かを進めるならばこれで十分。しかし他者との関係性でいくと、まだ足りない。
人は論理ではなく、感情で決める。この記事で、ここが一番大事かもしれない。論理で人を丸めこうとしても、人は首を縦に振ってくれない。
論理で準備をして、誰かに協力してもらう際は感情に訴えかける。これができる人は賢い。
アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ。ペプシコーラの社長だったジョン・スカリー氏をヘッドハンティングする時に言ったセリフ。有名なセリフなんだけど、知ってますか?
言語化能力が高い
これは最近のトレンド。YouTubeなどで、話が上手い人や、説明が分かりやすい人に対して、「言語化能力が高い」という褒め言葉が使われることが多い。
考えてみればそれはそうで、良いことも悪いことも、程度が大きくても小さくても、「ヤバい」の一言で片付ける人からは知性が感じられない。ヤバい、悪い意味で。
動物、万物の長たる人間、ここの差はなんなのか。それは言葉を使えるかどうか。
ふと思い出したけど、ヒトは他の生物より際立って投擲が上手なことも、他の動物との大きな差らしい。テラフォーマーズで知った。
手裏剣、ブーメラン、トマホーク、手榴弾。思いつくだけでも、投げる武器は世の中にごまんとある。
- 語彙力をつける
言語化しようにも材料がないと、表現できない - 小説やドラマや映画などのコンテンツを見まくる
登場キャラクターのサンプルを増やして、「あの時の〇〇と同じ」と言えるようにする - 関係性を整理するクセをつける
悩みを、時系列順、もしくは因果関係順に、具体的に言葉にしていく - 例えてみる
似たパターンや構造を理解しないと例えられない、例えることで客観的に把握できる
後は縛りプレイも効果的。「ヤバい」、「スゴい」を使わずに生活をしてみる。誓約と制約。
こちらもCHECK
言語化力のすゝめ。言葉だけが僕らを救ってくれる。
続きを見る
賢そうに見られる方が、強キャラ感があって良い
世の中で間抜けに見られて得することはない。僕が中学生の頃くらいに、おバカタレントが一世を風靡したけど、あんなの特殊も特殊。
人から賢そうと思われるに越したことない。現代社会で知性はアクセサリー。エルメス、ルイヴィトン、クロムハーツ、いかなるブランド物をも凌ぐジュエリーなのである。
しかもこのアクセサリーの強みは、誰もが似合うこと。知性の似合わない人はいない。見た目がいかにも田舎のヤンキーでも、知性があればギャップとして活きる。
マンガでもゲームでも、賢くないキャラクターの扱いは芳しくない。同じ言葉ばっかり話すポケモンの街の人は総じてモブキャラ。
ギャグマンガでもない限り、賢くないアホなラスボスは、古今東西存在しない。アホなラスボスでは展開が面白くなりようがない。
昔からハンターハンターのファンなんだけど、特にクラピカが好き。なぜならとにかく頭がキレるから。
単純な格闘やアクションマンガであれば、腕力やパワーの強さで勝てる。しかしハンターハンターでは、最もその環境を制したものが勝っているのが面白い。
必ずしも戦闘力が一番高いと勝てないわけではない。相手の考えの裏を読み、自分の得意なことを活かせた人が勝ってる。
ハンターハンターは特にそうだけど、他のどんなマンガでも賢いキャラクターは強キャラ感がある。
三国志でどんな武将よりも、輝いているのはやはり諸葛孔明。「死せる孔明、行ける仲達を走らす」なんて言葉もある。キレ者は亡くなっても、なお強いのだ。
まとめ
では、最後にこの記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 大人の賢さは、相手に「賢い!」と思ってもらえるかで決まる
- 感情のコントロールができず、客観的に考えれない人は賢くない
- ギャグマンガでもない限り、賢くないアホなラスボスは、古今東西存在しない
サラリーマン生活をより豊かにするための情報に特化し、ブログの記事を投稿しています。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めております。
この記事が面白ければ、是非他の記事も読んでいって下さい。貴重な時間を頂きありがとうございました。ではでは!