意識高い系ブームってもう終わりました。数年後には過去の遺物になってる気がします。
・意識高い系に憧れているんだけど
という人にむけて書きました。
僕は仕事はそこまで前のめりではなかったのですが、プライベートでは意識高い系でした。ただ振り返ってみると、今に集中できてなかったと思うんです。
適度なら良いんですが、過度に生産性を追い求めると、人として薄っぺらくなる。意識高い系の人って、気づいたら驚くほど個性が消えていきます。
忙しさに価値はない。多くのことを処理するのに意味はない。人生で何を達成したいのか、本当に興味のあることは何なのかを考えましょう。
記事の前に自己紹介!
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・当ブログで120万文字を執筆、累計PV数は100万突破
・30歳で貯金1,500万円達成
意識高い系ブームは10年モノ
意識高い系のサラリーマンをネットでよく見かける
「意識高い系」という言葉は、2011年頃から流行り始めました。僕が大学生になったのと近い時期です。
当時はTwitter全盛期で、大学の友達はみんなツイートしてた。いた、確かにいた。そんな中にも、意識高い系の人は数多くいた。
歩合制のスマホ契約のバイトをしている人から、起業家セミナー出たことを自慢してる人まで。
「今日も朝からビジネスに集中、月収100万円を目指します」みたいな、具体性のまるでないツイートをしてる人も多く見かけた。
この風潮はそのまま残ってる。サラリーマンでも意識高い系の人を、主にSNSやYouTubeで見かける。
口だけじゃなくて、きちんと行動までしている。結構なことではあるんだけど、一石をあえて投じたいんだな。
「生産性」という甘い罠に陥りがち
生産性。こちらもここ5〜10年でめちゃくちゃ流行った言葉。とにかく効率性を意識する世の中になってきました。
極端な言い方をすると、一週間で本を1冊読むよりも、2冊読む方が偉い。週末にNetflixのドラマを1シーズン見るよりも、2シーズン見る方が偉い。こんなイメージ。
確かに多くインプットするに越したことはないのですが、意識高い系の人たちは、インプットすることを目標にしがち。
多くのコンテンツをこなしているだけで、その瞬間を楽しんではいない。ただ効率よく消費したことを威張ってしまってる人も多い。
ビュッフェなどで、制限時間内にとにかくお皿に盛りまくって、何でもかんでも食べるのに似ている。ちゃんと味わえてはいない。
意識高い系の人は、個性が消えていく
意識高い系は行動がだいたい同じ
意識高い系は時間をとにかくムダにしない
実は僕自身もちょっとだけ意識高い系。本当の意識高い系の人と違うのは、本業への意欲がそこまでないこと。
会社員の仕事はほどほどにして、プライベートを充実させたい。本末転倒な意識高い系を発揮している男。It's me、そう自分です。
- ブログを毎日2,000~3,000字書く
5年間で文庫本12冊分執筆 - 5kmのランニングを週3回はする
- 本を月に10冊は読む
- 映画は年に120〜150本は観る
これを意識高いと呼ぶのかは疑問ですが、とにかく時間を効率的に使うことは意識。残業も多いですが、それでも並行して多くのことに取り組んできました。
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そんな僕だから分かるのですが、意識高い系って毎日の充実感があるんです。夏休みの宿題を、テンポ良く片づけている時のような高揚感。
意識高い系の一日はほとんど同じ
意識高い系'sハイに入ってる最中は、意識高い系のビジネス系YouTuberのルーティン動画を色々見ていました。
その時にふと気づいたのです。
そうです。とっている行動はだいたい同じ。成果や売上などはまた別ですが、行動自体に差はほとんどない。
- 睡眠時間を削って、早起き
- コーヒーを飲みながら電子書籍読むか、ニュースをチェック
- ランニングするかジムに行く
- カフェに行って、副業にゴリゴリ取り組む
- 会社に行く
- 帰りにジムに寄る
- サウナに入る
- TOEICとかの資格勉強する
- めっちゃ早く寝る
素晴らしい。健康的だし、生産的だし。ただオリジナリティはない。最後にはここに収束する。意識高い系に例外はない。
生産性にこだわりすぎると、個性が消える
先ほどの生活は、ムダがない。というかムダがなさすぎる。ブレーキで言うところの遊びがない。
人としての幅は少ない気がする。一日をガチガチに決めすぎて、偶発的なイベントが起きづらい。「たまたま見たアレが人生を変えた」みたいな体験は起こらなさそう。
僕が敬愛する村上春樹。その村上春樹が色々な人から来た質問に回答していくという内容の本「村上さんのところ」。
その本の中で、村上春樹は以下のように語っていました。
すごい分かる。意味のあるものだけを追い求めると、決まりきった結果に陥る。
人間としての幅は狭くなる。言ってしまえば、人類が培ってきた芸術なんか、全部ムダだし。
生産性を意識して、ミケランジェロはダビデ像を作ってないはず。ダヴィンチはモナリザを描いてないはず。
生活の中のゴールをどこに置くのか?
忙しさに価値はない
そもそもだけど、忙しいことに価値はない。「忙しい=クール」って価値観を、今すぐ捨てた方が良い。
会社の中では特にそうだけど、忙しいという状態に一定の価値が置かれている。忙しそうな人は、有能っぽく見える。
逆にヒマな人は、無能に見える。意識高い系の人は、とにかく忙しい状態を追い求める。
ここが本末転倒。有能な人に仕事が集中して忙しくなることはある。でも忙しい人が、全員優秀ってわけじゃない。ここを勘違いしてはいけない。
結果的に忙しくなっても良い。でも忙しい状態をゴールにしても仕方ない。
アメリカにとどまらず日本でもベストセラーにもなった「限りある時間の使い方」。
この本の中では、以下のようなことが指摘されています。
- 現代人は人生の本当の意味は未来のどっかにあると信じて、「人生のゴールはどこにもない」というツラい現実から目を逸らす
- 将来の価値を最大化しようと努力する限り、「人生には今しか存在しない」という事実を無視できる
- 「今この瞬間にいよう」とする努力は、未来のために時間を道具化するのと本質的には同じ
僕らは時間を道具化しようとしすぎている。忙しくすることで、本当の人生の問題から目を逸らしているんですね。
ゴールのないレベル上げをしても意味がない
忙しくすると、余裕がなくなる。達成感は得られる。だからとりあえず毎日予定を詰めたり、ルーティンをこなす。
そうすれば「オレの人生、めっちゃ充実してるやん」って気持ちになれる。でもこれがクセモノ。
いつかのためにレベルアップをしているだけ。でもいつの日に使うのかは決まってない。
ポケモンでも草むらでレベル上げをするのは、ジム戦で勝つため。意味のないレベル上げは、それこそ生産性からかけ離れている。
目的がある。でも今の自分では到達できない。そのギャップを埋めるために、レベル上げをする。
本来はこの順番。レベル上げは手段であって、目的にはならない。
時間を有効化しようとする。とにかく効率化する。そうすることで今を忙しくする。
ゴールを決めるというヘビーな決断を先送りできる。そりゃそう。ゴールを決めるって苦しい。
内省の作業は不可欠。自分が本当に求めているものを知らないといけない。自分と向き合わないといけない。
興味のあることをとにかく追求するのもアリ
人生はトータルの幸福度で考える
人生はトータルで満足できればOK。意識高く、意味のあることを追求する。それも良い。
でも人生の幸福度には直結してない。生産性は人生のゴールにはならない。
満足感はあっても、人生そのものが幸福にはならない。本当に達成したいゴールに近づくことが重要。
そして何よりも人生を楽しむ。人としての幅を広げる。経験を最大化する。
小難しく考えず、好きなことをやってみる
最後にアドバイス。ちょっと意識高い状態で20代を過ごしてきた僕。
意味なんて考えなくて良い。「好きだから」とか「興味があるから」とかって理由だけで、走り始めてしまえば良い。
小説を読むことに意味はないかもしれない。映画を観ることに価値はないかもしれない。稼げていないブログは、今すぐ損切りするべきかもしれない。
分かってる。でも僕は続ける。好きだからだ。やってて楽しいからだ。
生産性なんて知ったこっちゃない。意識高いもクソもない。意味はないけど、自分が好きなことに、フルコミットするんだ。
他の人から見たら意味はないけど、自分は好きなモノ。ついつい取り組んじゃう。個性。これって絶対に個性やろ!?
まとめ
では、最後にこの記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 意識高い系は時間をムダにしないから、似通ったような生活を送っている
- 生産性をただ上げるよりも、人生のゴールを考える方が重要
- 他の人から見て意味のあることよりも、自分が好きなモノに取り組むべき
サラリーマン生活をより豊かにするための情報に特化し、ブログの記事を投稿しています。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めております。
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